圧勝と完敗

 直近の大会でリーグ戦でトップ通過した強いプレーヤーに6ー0で勝利したが、それ以外の試合に負けた。6-0の試合、ファーストサーブが7割程度決まり、攻めのプレーも概ねイメージ通り決まった。プレー中、特に変わったことをしている意識はなく、自分としては、平均点より少し良いくらいのプレーを続けた。しかし、相手の反応は、なす術ないという感じであった。

 いわゆるゾーンに入っていたのかもしれない。あるいは、相手のプレースタイルが私に合っていたのかもしれない。振り返ってみると、自分的に「このくらいはできるだろう」というプレーを積み重ねたに過ぎない。しかし、考えてみると、プロは「このくらいはできるだろう」というプレーを積み重ねている。中には、スーパープレイもあるが、常にスーパープレイでポイントが動くことはない。

 自分にできるプレーを確実にやり切ることが強くなる秘訣かもしれないと、今更ながら考えている。試合から1日経過して自分のプレーを振り返ると、強いプレイヤーの試合ぶりだったと思う。

 しかし、負けた試合を振り返ると、自分にできることをしないか、できないことをやろうとしていることに気づいた。

 これは、普段の生活や仕事でも同じである。無理しなければできないことを続けるのは、全体から考えると失敗する可能性が高い。無理をして、その局面で成功したとしても、無理をしたツケをどこかで払わなければならない。余命宣告を受けたガン患者が延命措置をしなかったことで10年も生きることがある。確かに抗がん剤や放射線治療は一時的にがんを攻撃できるが、肝心の患者を弱らせて免疫機能と抵抗力を奪う。現在のがん治療を否定する気は毛頭ないが、どの局面に注目するか、視点の重要性を想う。

 とはいえ、自分が圧倒的なプレーをして圧勝したとしても、それを自分の実力だと思うのは、間違いだ。


【量子力学的波動関数の収束】

 量子力学の有名な現象に光の二重スリット実験がある。光は波と粒子の性質を併せ持っている。そこで観測前には波の性質が現れて、二重スリットの先に干渉縞が現れる。しかし、光がどちらのスリットを通ったか観測すると、干渉縞が消えて、2本の光の筋が現れる。

 波動関数によると観測する前の光の位置は、確率で求められる。観測しなければ、何処にあるかがわからないのである範囲(確率)で存在するというのである。これは、単に数学的な問題ではなく量子は、存在自体が確率的なのだ。

 テニスで考えてみると、プレーヤーは個々の実力に応じて可能なプレーがある。あるプレーをする前のプレーにおける成功、失敗は確率に依存する。しかし、実際にボールを打った瞬間に確率は収束し、結果が得られる。

 私たちが認識するプレイヤーの強さは、もしくは、あるプレーが成功するかどうかは、まさに収束前の確率的なものだ。収束した瞬間、テニスの波動関数は収束し、次のプレーは再び確率的に存在する。 

 量子論を実生活にそのまま当てはめるのは暴論でしかない。しかし、考え方を応用することはできる。次に、その方法を考察したい。

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