調子が悪い?理由の解明
心技体はあらゆるスポーツや格闘技、武道などで重要とされる。このことは、人間の諸活動全てに当てはまると考えている。「うちの子はやればできるんですけど」という親がいる。誰でも大抵のことはやればできる。心は勉強する意欲や集中力、技は、知識や技能、体は体力になる。やらないからできないのが最大の問題なのだ。
「どうすればやる気が出ますか?」と訊かれることがある。やらなければならないことは分かっているがやる気が出ない。もしくは、頑張ってやり始めるけど続かないことに悩んでいる。
心技体は見かけは違うが、境界線は明確でない。人は脳を使って考えるが、脳は肉体の一部、すなわち体だ。技は、脳の指令により体が動くので、脳の働き即ち、心の発現と考えることができる。心技体は完全に独立した要素ではないのだ。
人の魂はどこにあるか?という永遠の謎がある。養老孟は、人は脳によって考え、脳がないと感じることはできないが、だからといって脳に魂があるわけではないと説いている。例えば、温度がどこかに存在しれいるといえないのと同じだ。水は水の分子がなければ流れないが、水が流れる物理法則は、水の存在に関係なく存在している。水の流れは、働きなので、どこかにあるわけではない。
さて、テニスに話を戻す。体調が悪ければ脳の働きが悪くなる。技を脳に記録されたプログラムと考えると、脳はプログラムを正しく実行できない。そもそも体調が悪いなら、脳が正しく働いても筋肉がうまく反応できない。
アントニオ猪木は。体技心の順と説いた。それは、水があれば物理法則が水の存在に従って生まれる、という考え方だ。彼らしいが、物理法則は水がなくても普遍的に存在している。体があれば勝手に心が充実するわけではない。
このことは、後に再考する。
【自己ベストは自分の実力ではない】
あるスポーツのコーチとゴルフのラウンドをした。体力に恵まれ、運動能力も高いので、ドライバーが当たると、プロゴルファー並みの飛距離が出せる。しかし、スコアは90を中々切ることができず、調子が悪いと100以上叩いてしまう。
150yほどのショートホール、グリーン手前に難易度の高そうなバンカーがあり、ピンは右サイドのバンカー奥に切ってある。バンカーは右をガードしているが左手前には花道が広がっている。彼が私に攻略法を尋ねたので「このホールで絶対に避けるべきなのはバンカーに入れることなので、少しオーバーしてもいいから大きめのクラブで、バンカーを避け、左を狙います。」というと、彼は「え〜、この距離なら、ピンを直接狙っても良いのでは?僕なら8番アイアンで届くんですが」と答えた。確かにプロなら、ピンを直接狙ってバーディーを取りたいホールだ。彼は8番アイアンを持って果敢にピンを攻めた。
結果は問題ではない。しかし、8番アイアンで150yを飛ばせるのは、練習場でベストショットをした時だ。マックスの自己ベストを出さなければ大きなペナルティーが課される状況なのだ。練習場はマットの上で多少のミスは結果に出ない。飛距離はほとんどロスしないし、何球も打てば方向も修正できる。しかし、コースでは、目標もなく、地面は平らでない。少しでもダフると、大きく飛距離が減衰する。しかも一球しか打てないし、様々なプレッシャーがかかっている。
アマチュアでも150yは、グリーンを狙える距離といわれている。アベレージプレーヤーなら7番アイアンで打てる。アマチュアが最も良く練習するクラブの一つだ。しかし、近年のクラブ性能では7番アイアンはミドルアイアンに分類される。それ以下のアイアンがショートアイアンなので、多少難易度が上がる。
アスリートであり、専門分野で高いスキルを持つ彼が限界近い能力を発揮して挑戦するのはゴルフの楽しみ方の一つだ。うまく行ってバーディーでも取れれば、その日プレーした甲斐があり、記憶に残る。そのプレースタイルを否定する気はない。
彼はゴルフの悩みを相談してくれるのだが、その最大の悩みは、良いスコアが出ないことだ。気持ちよく飛ばして、スコアも求めたい、というのは、相反することだと気づかなければ、その悩みは永遠に続く。例えば、サーキットで300km/hで走れるレーシングカーで常に300km/hで走ろうとすれば、すぐにクラッシュしてしまう。
レースの目的は300km/hを出すことではなく、短いタイムで周回することなのだ。スポーツの目的は、人によって違っても良いが、そのスポーツ本来の目的がある。
私は、強く良いショットを打つことを目的にしてしまうことがある。常に自分が打てる最高のショットを打とうとするのだ。しかも、良いショットが打てればそれで安心し、次のショットの準備が遅れる致命的な欠陥がある。つまり、ベストショットを自分の実力と勘違いする、中級者が陥りがちな落とし穴に落ちてしまうのだ。
【心技体の全てがベストのショットは続かない】
他人のレッスンのショット練習でコーチのボレーに対して、やたら強いショットを打つ生徒がいる。確かに全身を使ってフルパワーで打たれたボールは素晴らしい威力がある。しかし、スピードのあるボールは返球も速い。つまり、すぐに次のショットを準備しなければ間に合わない。そのラリーを3往復もすれば、生徒のショットが変わってくる。疲労で明らかにパワーが落ち、準備が遅れ、ミスが増える。
それはサーキットで常に300km/hを出そうとするのと同じで、コントロールが難しく、エネルギーを消耗する。プロのショット練習を見ると、永遠に打っていられるのではないかと思うほど脱力して一定のペースで打ち続ける。試合のウィナーショットも、どこかに余裕を残しているように見える。
一球入魂、スポコン全盛期に青春時代を過ごした世代に擦り込まれたことばだ。しかし、プレーは一球打って終わるわけではない。その一球を試合の間、常に打ち続けられるなら、問題はない。ボクシングの竹原が、アマチュアの喧嘩自慢とスパーリングする動画が公開されている。素人でも喧嘩自慢の若者は、序盤で竹原を圧倒する。しかし、竹原はテクニックで防御し、クリーンヒットを許さない。1分も経たないうちに、若者は打ち疲れ、見る影もなくスピードやパワーが落ちていく。そこで竹原はクリーンヒットを一発打つ。挑戦者がギブアップする。だから、竹原は序盤から打ち合おうとしないのだ。一試合を通して発揮できる力量こそそのプレーヤーの実力なのだ。全力のプレーを続けるには、血の滲む努力が必要なのだ。
【負けを覚悟して発揮される力】
ある草トーナメントで決勝まで勝ち進むと5試合をこなさなければならない。緒戦で負け、上位進出を諦めた時、強敵に勝ってしまうことがある。自分が打てるベストには程遠いショットを打ち、ウィナーを打たれるのを覚悟で淡々とプレーしているだけなのに、気がつくと勝ってしまっているのだ。
そのパフォーマンスなら何時間でも続けられるという範囲のプレーは、300km/hを出さずにコントロールできる範囲で身の丈に合ったプレーをすることだ。中級者の試合で、プロが打つようなミラクルショットは不要だ。コントロール可能なショットを無理なく相手の嫌がるコースに打ち続ければ、勝つ可能性が高いプレーになる。
「勝つと思うな思えば負けよ」は、わざわざ負けるためにプレーしろということではなく、勝ちたい気持ちが強すぎるあまり、不要なことをすな、ということなのだ。
私は試合の序盤が苦手で、不利な状況に追い込まれることが多い。年齢的なこともあるが、体がほぐれないうちに、ついベストショットを打とうとしてしまう。それがそもそもの間違いだと気づくのに多くの時間を要した。
序盤でいきなりベストショットを打とうとしてミスすると「おかしい。こんなはずじゃない」と思ってしまい、何とかしようと、もっと力を入れて打とうとする。こんなはずなのだ。いきなり、心技体がベストな状態のショットが打てるはずがないのだ。
【序盤にすることと、その日の実力】
体重や身長など、人の基本スペックは毎日毎時間常に変化する。体や環境、相手やボールに慣れるに従って、徐々にパフォーマンスが上がる。ベストに近い状態が、いつ発揮できるのか、プレー中は中々分からない。長年プレーしていると、身体の準備が整うと、打つ前に上手く打てそうな感覚がある。
その理由を考えると、プレーの序盤は可動域が狭く、イメージと実際の動作の齟齬が大きい。この段階で脳がマックスの動きを命令すると、身体が拒否する。
色々なスポーツでトッププレイヤーの共通点は、余計な力みがなく、ゆっくり動いているように見えることだ。ゴルフでも中級者のスイングは非常に忙しなく、速く見える。しかし、実際にスイング全体の時間を測るとトッププレイヤーの方がショットの時間が短い短い。つまり速く振っている。
余分な力みがなく、インパクトに向かって徐々に加速し、インパクトの一瞬に力を集中すれば、ゆっくり振っているようでインパクトもスイング全体の時間も速くなる。余分な力を入れれば、可動域が狭くなり、スピードは上がらない。可動部分は、フニャフニャで運動連鎖の力が逃げない程度の力感が最適であり、必要な力は中級者が考えるより遥かに小さい。
中級者のアスイングが忙しなく見える理由は、準備が遅いことだ。テイクバックのタイミングが遅い。トッププレイヤーは早いタイミングでテイクバックするので、フォワードスイングまでに余裕がある。トッププレイヤーがフォワードスイングをを始める頃に中級者はテイクバックの最中だ。当然、スイングが忙しなく、余裕が感じられない。
よくコーチが、早くラケットを引くようにアドバイスすることがある。しかし、これが生徒をなやませる。早く引きすぎると、テイクバックが完成したトップでラケットを引いたままボールを待つことになる。トッププレイヤーでそんなことをしている者はいない。慣性の法則に従って、一旦静止した物体は動き出すのに大きなエネルギーが必要だからだ。テイクバックによって始まった運動を止めることなくフォワードスイングに繋げるのが、最も効果的で良いスイングなのだ。
試合の序段ですることが見えてきたと思う。
私の年齢になると、目の調子の影響も大きい。思ったよりボールが近くにあったり遠くにあったりする。プレーヤーによってチェックポイントは異なる。しかし、共通事項はある。
【結果が出ないのなら同じことを繰り返さない】
ミスをすると、こんなはずじゃないと、同じことを繰り返そうとするプレイヤーが多い。そんな時、指導者としての私は、ミスをしたなら違うことを試すようアドバイスする。
結果が出ないのに同じことを繰り返すと、脳はミスするための指令を発し続ける。多くのプレーヤーは、ミスの原因を追及せず、同じことを繰り返せば結果が出ると思い込んでいる。確かに、ミスを繰り返すと、無意識に修正することもある。しかし、ミスをする原因が消えるわけではない。これは、マイナスをマイナスで打ち消すことなので、肝心の場面で思い切ったプレーをすれば、同じミスが出る。
これは、練習ですべきことなので、試合中ミスが出た場合はフォームや打ち方を修正すべきではない。スピードを落とすなどして、そのショットに頼らないをなることだ。もしマイナスをマイナスで補うショットや、感覚とズレたショットが一回成功しても、次は失敗するかもしれないという不安が付きまとう。これは全体のパフォーマンスを低下させるだけでなく、相手に伝わり、流れを悪くする。
【心技体と調子の意味】
恐れは、パフォーマンスを抑制する。相手が変わると、見る影なくパフォーマンスを低下させるプレーヤーが多い。勝ち癖、負け癖の原因の多くが相手を恐れることだ。相手を恐れなければ、自分のミスも恐れない。多少のミスを許容できるのと、もしミスをしたら勝ち目がない、のは大きく違う。
心技体の要素をそれぞれ上げることは、パフォーマンスを向上させる。しかし、どれか一つが突出しても全体のパフォーマンスを上げることにはならない。
例えばお腹の調子が悪く漏れそうな状況ではプレーに集中できず、技も出せない。そこで心だけを上げると力みすぎて漏らしてしまいプレーどころではなくなる。体調が良くても心配事があり、プレーに集中できなければ、体に変調をきたし、技も冴えない。体調も心も絶好調、しかし技がなければ、とんでもないミスを繰り返す。
心技体はそれぞれ独立しているのはない。もし、その一つが落ち込んでいれば、それに合わせることがその状況でベストパフォーマンスを発揮できるのだ。心技体は不可分なのだ。
試合の序盤、思ったような結果が出ない場合、問題の在処を考える。試合中は、心技体のいずれも修正しようとしないほうが良い。むしろ最も低い要素に他に要素を合わせることだ。ゴルフでは、ラウンド中にショットの修正をできるけど行うべきでないというセオリーがある。野球のピッチングでも、その日ダメな球種を減らし、良い球種を使う。ヒーローインタビューで、今日は調子が良くなかったが、悪いなりに組み立てた、ということがある。
さっきまで入っていたサーブが急に入らなくなった場合、いろいろ工夫して強いサーブを打つ工夫をするより、サーブの種類を変えるか、スピードを落として、ショットに集中する方が良い。ショットが決まらなければロブを、強打が決まらなければ浅くすずむボールを、など、できないことに拘り続けても、原因を解消できない限り、結果は出ない。
【負けたから考える】
心技体のバランスを取れた時、その時点でのベストパフォーマンスが発揮できる。それは、3つの要素が全て高いということではない。いわゆる、ゾーンに入った経験が何度かある。何故結果が出たのか振り返ると、特に気負いがなく、7割くらいの力加減で、できることを淡々とやり続けた感覚があった。
逆に結果が出ない時は、気持ちがあっても体ついてこない。練習で成功確率が低い技を使い続ける、モチベーションが上がらず、楽しくないので勝つ意欲も湧かない、など、心技体のバランスが悪く、突出した要素がむしろ全体の足を引っ張っている。つまり、落ち込んでいる要素が悪いのではなく、それに他の要素を合わせなかったことが原因なのだ。
おかしい、こんなはずじゃない、というのは心が突出した場合、同じ感じで打っているのにやたらとボールが飛びすぎてコントロールが効かないのは、体が突出した場合、ロブやドロップなど、ショットが絶妙に決まるのだが、何故かやる気が出ず、簡単に失点してしまうのは技が突出した典型的な場合だ。
負けた時こそ、技術や戦術面だけを考えるにではなく、心技体について反省すべきなのだ。
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