練習しないと下手になる?
才能の実相は、努力できる能力だ。器用さを才能と勘違いする向きもあるが、才能が問われるレベルでは、人並み以上の努力が必要なので、器用さは些末な問題である。確かに不器用で上達に時間がかかり、求めるレベルに到達できない場合もある。そして才能がないと諦めてしまう場合がある。しかし、それは、目標に到達できない言い訳に過ぎない。
山登りに喩えると、登頂するには2つのことが必要だ。正しいルートで登ることと、登り続ける体力だ。2つのどちらかが欠けていても登頂できない。至極当然のことだが、登頂できない人間や、登りもしないで眺めている人間は、登頂した人間に才能ということばを使いたがる。登頂した人間から見れば、登頂できないのは、ルートを知らないか努力をしなかったことが明らかなので、「私は、天才ではない」という。
テニスプレイヤーなら誰でも上手くなりたいと願う。しかし、あるレベルに停滞して上手くならないプレイヤーは多い。原因ははっきりしている。それ以上に上手くなる方法を知らないか、必要な努力をしていないかのどちらかだ。山登りと同じだ。野球の落合博満は、成果が残せない選手に「プロとして必要な努力をしてないから」とのべもない評価を下す。プロ野球に入プレイヤーは、誰でも素質は十分に恵まれている。しかし、プロ野球選手としては小柄な落合博満から見れば、素質にあぐらかいて努力を怠るか、正しい練習をしないかどちらかのなのだ。
振り返ると、多くの試合に出てギリギリのプレーをしている時期は、細かい技術が気にならない。戦術やメンタルに焦点を当てている。しかし、試合に出られない時期に、練習で個々の技術が上手くできないと理由が分からずに悩むことが多い。最近では視力が衰えて来たので、メガネをかけだしたせいか、ラケットで上手くボールを捉えることができない。こればかりは工夫のしようがないと諦めかけて絶望的な気持ちになる。しかし、テニスをする以上克服しなければならないので、様々考えて試行錯誤した。目付の方法を変える、ボールの見方を変える、スイングをシンプルにしてラケットをできる限りボールの軌道上で動かすなどだ。
最近、体育館でプレーした。普通の体育館はテニスをプレーするにはかなり劣悪な環境だ。まず、床や壁の色がボールと同系色の黄味のオレンジ色だ。おまけに他の競技より使用頻度が低いためか、ラインがオレンジ色なのでほぼ視認できない。別の体育館でプレーした時も同じような環境だったので、仕様なのだろう。更に、板床はボールが滑る超速いサーフェスだ。その上、天井が白色で照明が十分な照度を確保していないため、中途半端に明灰色だ。ロブでは逆光で暗橙色のボールが飛んでくるので、距離感が判別できない。
まるで巨人の星の消える魔球のように突如として消えて現れるボールに悪戦苦闘して終わった。
写真は、ネットで拾った他の体育館だが、私がプレーした体育館は、これほど明るくなく、広さもプレーするのにギリギリだなほど狭い。視力が衰えた私にどれほど工夫の余地があるか?
この環境で練習すると、練習するほど下手になる可能性がある。同系色だが少しだけ明度の低い橙色なので、そこを背景にすれば、少しだけボールが見えやすい。しかし、練習初日、ショートラリーの段階で、インパクトで完全にボールが消えた。
北海道の高校野球はハンディキャップがあると言われ続けた。一年中土のグラウンドでプレーできる南国ではないからだ。およそ半年は雪で地面が覆われる。そこで、冬季は体育館を間借りして練習することになる。屋外と屋内では、ボールを見る感覚、距離感が異なる。テニス用に設計された屋内コートは、ボールが見やすいように配色されている。しかし、体育館は、屋外より明らかにボールが見えない。どうして他のプレーヤーはこの環境でプレーできるのか不思議だったが、私よりはマシだが、オフセットのインパクトや空振りなど、ミスが多いことに気づいた。
やはり、他のプレーヤーにも見えていないのだ。
これは極端な例だ。しかし、練習の環境を含めて様々な条件が、上達に適していないことはあり得る。練習環境を選ぶことは上達に不可欠なのだ。
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